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城山(じょやま)のあゆみ

春の花  城山は、福井県福井市に隣接する永平寺町花谷の南方1.4km、標高473.8mの山です。 山頂には城跡があり、平成13年4月には県指定史跡に認定されました。 地元では昔から『じょやま』と呼ばれ親しまれています。城山には、九頭竜川や坂井平野、天気の良い日には 日本海まで一望することができる素晴らしい展望、そして歴史ロマンなど、花谷の宝が詰まっています。
 近年、登山道は土砂崩れなどで荒れ果ててしまい足を踏み入れることもできませんでしたが、苦節10年の歳月をかけ、 平成28年6月に【こもれび散歩道】が完成しました。

城山の歴史

 城山は鎌倉時代の志比庄の豪族、波多野氏が山頂部を中心に築いた山城跡です。
 15世紀後半から、守護代クラスの有力国人の中には戦国大名になり、在地の勢力をゆるぎないものとたものもいました。 その配下となった国人らは、戦闘に即応でき、かつ優位に戦えて在地支配の拠点となりえる山稜上に城郭を構えました。 城山は、河川や農耕地を把握でき、交通や戦略上の要地をおさえる山として選ばれたのです。
 波多野城跡は、志比庄の豪族、波多野氏によって築かれ、城山の山頂を中心に尾根の頂部、斜面、谷部などに 「郭・堀切・小土塁・土橋・井戸など」の数多くの遺構が残されています。いずれの遺構も遺存状態は大変良く、 見ごたえがあります。
 越前においては元亀元年から天正8年の間使用されたことや、朝倉氏が織田信長の越前侵攻に備えて元亀年間に 国内の主要な城に構築したと考えられること、また、山城跡には、畝上竪堀群や小土塁がみられることから 戦国時代末期に使用されていたことは確かです。

城山と波多野氏

 城山は、山麓の谷口にある館跡(周囲に一辺100mの堀を廻らす方形単郭館跡)の主であり、永平寺や志比庄とゆかりのある 波多野氏と考えられています。波多野氏は、藤原氏北家の流れをくむ名族で、十三代の経範から相模の国波多庄に土着し、 波多野氏を称しました。六代目綱吉の時に鎌倉幕府の御家人となり、承久の変以降、その子義重が越前志比庄の地頭となって土着し、 越前波多野氏の祖となりました。
 現在、永平寺町上谷口にその子孫が連綿と続いています。
 戦国期の波多野氏の当主は「朝倉始末記」によると、朝倉貞景の五男波多野次郎兵衛であり、朝倉義景の家臣配列では二番目に 位置していたことから、同名衆に準じられていたことがわかります。また、波多野城は、国主居住の一乗谷本城と同じ「館」と 「山城」がセットになっていることから、本城を支えるかなり重要な「支城」としての役割を担っていたと考えられます。


略系図 (「永平寺町教育委員会資料」より抜粋)